西宮神社
西宮神社(にしのみやじんじゃ)について 西宮神社のある場所は、もともと白砂青松(はくさせいしょう)の浜であり、廣田神社の摂社・浜南宮の神域でした。十日えびすの祭礼時には数千人の参詣者が激しい競争を繰り広げます。本殿は三連春日造(さんれんかすがづくり)と呼ばれる非常に珍しい様式で形成されており、向かって右から第一・第二・第三殿が連なっています。その背後には天然記念物の社叢(しゃそう)(神社において社殿や神社境内を囲うように密生してる林)「えびすの森」があり、歩いているだけで心が洗われます。 えびす様は見た目通り漁業の神として信仰されていましたが、現在は市の神・福の神・田の神・商いの神等と広く御神徳を発揮されています。 言い伝えによると、鳴尾村(現・西宮市)の漁業の網に見知らぬ神像がかかり、その像を海に戻して和田岬へ移動したところ、また同じ像を引き上げたとのことです。その漁師の家に祀られた神像は、ある晩に夢に現れ「吾は蛭児神(ひるこのかみ)なり。西方に良き宮地あり、そこに居らんと欲する」と神託を下しました。そして西宮へと遷座され、戎社(現・西宮神社)となりました。 蛭児神は、伊邪那岐と伊邪那美の間に生まれたが不具の子として海に流されたヒルコのことです。そして外国の神とみなされていたえびす神が帰還したヒルコであるという信仰が広まったのが平安時代の末期頃。鎌倉時代から近世にかけて商業都市として発展していくと、海の神、漁師の神の他にも市の神、商売繁盛の神としての神格が加わっていきました。 開門神事・福男選び…江戸時代から続く走り参りが、昭和15年(1940)頃に「開門神事・福男選び」に発展しました。本殿へ早く到着した順に1〜3番までがその年の福男に任命され、認定書・御神像・お面・特性の法被などが授与されます。全国から女性を含めて5,000人以上の人々が参加する大きな祭事となっています。 ご神徳 市の神 福の神 漁業 商売繁盛