中山寺へのお宮参り(初宮参り)や百日祝い、七五三の出張撮影ならスタジオアージュ出張写真撮影サービス
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日本で初めて観音菩薩を本尊としたと伝えられ、子授け・安産祈願のご利益が篤い「安産の寺」。古来、皇室から庶民まで幅広い信仰を集めています。札所24番となった場所で、すべての札所は33箇所あります。
約1400年前、 仲哀 天皇・ 大仲姫 のゆかりの地に聖徳太子によって開かれた日本初の観音霊場で、西国三十三所観音霊場のうちの根本道場です。
かつては高野山や比叡山に匹敵した堂塔
伽藍
を備えていた大きなお寺でしたが、数度に渡る戦での放火などにより、変遷に変遷を重ねて今現在では旧中山寺と比較すると1/20ほどになりました。ですが、1000年の
法灯
(仏法がこの世の闇を照らすことを灯火にたとえていう語。のりのともしび)を守っているようです。
また、本尊十一面観世音は、インドの王后シェリーマーラー
勝鬘夫人
を
浄寫
(下書きなどをきれいに書き写すこと。また、そのもの。浄書)したと言われる尊像で、古くより安産・
求子
・子授けの観音として数多くの女性より厚く信仰されてきました。世継ぎのいなかった豊臣秀吉が祈願しに来、秀頼を授かって以来、「安産・求子(子授けの寺)」としての知名度が上がりました。
建立にあたっては、大仲姫ご一門の霊を末永く供養するようにとのお告げを受けた聖徳太子が大芝谷丘陵へ上り、そびえる三つの山のうち真ん中の山を 伽藍 建立の地と定めて、紫雲山中山寺と名付けられ、太子自らがそこに中山寺を開いたのが始まりとされています。
中山寺の草創は四天王寺に先立つこと四年前と言われ、天平時代にはすでに大小寺坊を備えた堂塔を完備していたことが「 続日本紀 」に記載されています。
和泉に住んでいた漁師が仏像が入った石棺を海中から拾い、朝廷に献上したものを中山寺に奉納しご本尊としたことから由来しているようです。
中山寺は女性を救うことを本願とする観世音菩薩が祀られていましたので、安全を祈る人々が鐘の緒をお腹に巻くと必ず安産がかなったという伝承が今でも続いています。新型コロナ以前、中山寺は外国の女性からも願掛けに来ている人がいたようです。
もともとは源行綱の不信仰な妻を戒められた鐘の緖を指し、今でも保存されているようです。
以来中山寺の「鐘の緒」と呼ばれるようになり、「安産の腹帯」として、数百年耐えることのない日夜の祈念をされています。そしてその安産を祈る人が腹帯を巻きに来ています。
女性の安産を祈って授与される「 御鐘緒 」は、「安産の腹帯」と呼ばれます。幕末に明治天皇の産みの母の 中山一位局 が、中山寺の腹帯を受けて安産であったことから、明治天皇の 勅願 寺として霊験を高め、この腹帯を授かりに来られる参拝者が急増しました。毎月の戌の日に行われる安産 祈祷会 には、関西を中心に全国から参拝する人で賑わっています。